大都会で、野性にめざめたんです。

ある雑誌の対談で、アーティストの古内東子さんがそんな話をしていたことがある。数年前にひとりでヌーヨークに住んでいた彼女は、いきなりバーめぐりに目覚めて夜な夜な飲み歩いていたという。女性ひとりで、マンハッタン中のバーをはしご。すっかり治安の良くなった今のヌーヨークでさえ、なかなかハードボイルドな趣味である。「どこのバーが居心地がいいのか、飲んだ後に安全に家まで帰れるかどうか、自分の感覚だけが頼り。でもおかげですごく嗅覚がよくなった」という彼女の言葉に、ヌーヨークで野性にめざめるなんて面白い話ですねハハハ、なんてひとしきり盛り上がった記憶がある。

その意味を知ったのは、実際にヌーヨークに住んでからのことだ。平気でお金を数え間違える銀行員、予告なしに勝手に駅をすっとばす地下鉄、注文を覚えられないウエイトレス。日本じゃあり得ないことが当たり前のように起こるこの街に、最初はひどく混乱した。ところが、そんな風に脳みそシェイクされているうちに、自分の中にある変化が起きていることに気がついたのだ。

それはなんというか、自分の輪郭がくっきりしていくような感覚だ。ヌーヨークに住んでいると、常識が常識でなくなっていく。今でさえ十分社会からはみ出している私でさえ、かすかに持っていた「こうでなければならない」という意識がなくなっていく。おまけに学校や会社といった特定の組織にも属さず、同業者の仲間もいない一匹狼状態。頼りになるのは自分の勘だけだ。なんつってカッチョいいこと言ってるけど、要はわずかな資金を切り崩している身。お金をつぎ込む価値があるのかどうか、おのずと目も厳しくなる。

それで、まず好き嫌いがハッキリわかるようになった。「ん、これは好き!」か「これはいらない!」か極端に分かれて、ファジーな部分が消えてしまったのだ。それは感情のアップダウンが激しくなっているせいかもしれないし、英語というYES/NOがはっきりしている言語感覚になじんできたせいかもしれない。とにかく人の情けが100倍身に染みるし、嬉しいことは誰彼かまわず抱きつきたい衝動にかられてしまう。

「ああ本当に芝居が好きだあ〜」と改めて実感したりもしている。趣味が高じて、東京では演劇関係の原稿をよく書かせてもらっていたけれど、演劇関係者にネットワークができて招待券をもらったりもして、どっぷり芝居を観れぱ観るほど、はたして自分は芝居が好きなのか、それとも仕事のためなのか正直わからなくなっていた。ところがどうだ。今の私はブロードウェイで暮らしたい!と真剣に考えているくらいのハマりっぷりだ。観劇する日は本当にワクワクして、面白い芝居が観れた日にゃ寝るまでニヤニヤしてしまう。

毎日毎日いろんな思いがかけめぐって、書きたくて書きたくて、いてもたってもいられない。書きたいのに指がついてこなくて、吐き気がする。あれも知りたい、これも取材してみたいと思うのに、どうしたらいいのかわからなくて眠れなくなる。旅に出て外を歩いている時に、似たような感覚に襲われることはあったけど、同じ場所に住んで数ヶ月もこういう状況が続くというのは初めての経験だ。

すべてがプリミティブ。そしてシンプル。東京で「こうありたい」と思いながらついぞ実現できなかった状況が今、自分に起きている。これを幸せと呼ばずして何と言う。聞くところによると、同じようにヌーヨークに来たことで変わった人はたくさんいるらしい。野性に戻っていく街。ヌーヨークさんの正体ってそういうことかい?なんて思っている、渡米2ヶ月半の私です。

▲ヌーヨークで私が一番落ち着く場所、それはタイムズスクエア。観光客ばかりでいやだ、ゴミゴミしてて苦手、という人も多いけど、私はこの界隈に劇場街があると思うだけでホッとする。つらい時はこのあたりを歩いて、ブロードウェイの匂いをクンクンかいで「よし」てなもんで帰宅するのでありました。

★☆ 今週のイノキ ★☆
「近況おしえろ」「ぜったい引越するな」とさんざんっぱら頼まれていた我らがイノキですが、当の本人が中国に帰国するという大ドンデン返し! 最初で最後のディナー・ウィズ・イノキの模様はデジカメ日記で披露いたしました。しかし、正真正銘の国連職員だったという事実が発覚した今でも、目の前にいる「焼酎を飲んでジャージと同じくらいっ赤になっているタコ親父・イノキ」や「女子高生に命令されてアイアイサー!って敬礼してからせっせとイスを運んでくる下僕イノキ」や「ついに泥酔してツイストを踊り始めるイノキ」と「国連」がどうしてもこう…ねえ? そんなイノキも12月1日にお別れ。イノキなき後、次は馬場サン探しか!? 乞うご期待。